
聞こえるではなく届ける大切さ
箱根駅伝が終わっても、また本日も駅伝ネタです
私も30代前半の頃(今は58歳なので25年以上も前)は市民駅伝ランナーとして走ってました
なので沿道の声援は有難いものであることは充分わかるのですが、同じ声援でも知ってる人と全く知らない人との声援では全く違います
走る側にとっては10倍以上は違うと言ってもいいでしょう
知ってる人とそうでない人との声援、何故ここまで違うのか?
また集客・販促においてもヒントになることがあります
本日は感情移入する大切さのようなことをお伝えします
1.知っている人からの声援は熱量が違います
知らない人からの声援は走る側にとって自分に対してなのか?それとも後続のランナーに対してなのか?全くわかりません
走る側はギリギリの状態で追い込んで走っているので知らない人からの声援は有難いものであっても、それはただの声援であり聞こえてるというレベルです
一方、自分が知っている人の声援、例えば仲間や家族などの声援は自分の為に送られてくる言葉は熱量が違うのです
2.相手の立場に立てるか?どうかです
応援する側からすれば同じ「がんばれ~」でも、知っている人とそうでない人とでは声にこもる熱量が違うのは当たり前のことです
これは走っている人の苦しい状況を自分事のように応援するのか?それとも人ごと、他人事のように応援するのか?の違いでしょう
つまり
相手の立場に立ってこそ、はじめて伝わる訳であってランナーに届くのです
3.聞こえるのではなく届けることに重きを置く
たとえ他人、見ず知らずのランナーでも苦しい表情や集団から離されそうになれば自然と感情移入がおきます
そしてランナーに「何か言っている」という聞こえてるレベルから声援が届くレベルになる訳です
これは広告でも言葉、キャッチコピーと呼ばれる部分でも感情移入があるとないとでは読み手に届くか?どうか?といった違いになると感じるのです
我々、情報を伝える側としては、ややもすると手段や手法、見てくれやデザインにとらわれがちです
しかし大切なのは気持ちの部分で「届ける」といった思いです
2023年、年も改まり気持ちもリセットし再度初心に返り今年一年「届ける」、そして響くようなチラシやWEBページの展開を行っていきます